気侭帳。
気侭に綴ってみましょうか? 結婚して半年後、突然の解雇され、いつの間にか2児の母になった私です。 只今、ゆるゆると育児中。
韓国レポート 4日目その1
- 2009/08/16 (Sun) |
- 旅行記 |
- Edit |
- ▲Top
シリアスですかね?
この日の日程は・・・
慶州・ナザレ園→仏国寺→なんとか寺→古墳公園
慶州は新羅の都があった場所です。新羅時代は日本は古墳から奈良初期ですね。
ナザレ園。ここには在韓日本人のお年寄りが住む場所です。
第二次世界大戦で韓国青年と結婚したり、親に手を引かれこちらに来たりと様々な理由でこちらに来た方が韓国で生活するうちに生活に困窮し身寄りがなくなった方々がいます。韓国で身寄りがないなら日本に来れば良い?そう思うかもしれませんが・・・第二次世界大戦後、韓国はすぐに北朝鮮と戦争することになりました。このせいで韓国に居た日本人は子供と生き別れになったり、夫を亡くしたり、自身が戦死したことになってしまい、現在戸籍がない方がいます。帰るに帰れません。戸籍がない方は自身を「私」だと証明する術がない。子供と生き別れになった方は生死さえ分からぬ子供が気がかりで帰れない。それに日本にも身寄りがない。などなど。彼らにとって一時帰国はすることが唯一の救いでしょうか。 韓国で死んでも、魂は日本に還りたいというのが願いだそうです。
そんなナザレ園のお年寄りの平均年齢は87歳。行くと20名ほどの車いすに乗ったおばあちゃんたちがいました。おばあちゃんたちが好きなのは歌。NHKはこちらでも見られるようにしているそうです。到着するなり歌ったのは「ふるさと」と「富士山」。その後、おばあちゃんの傍に寄り、お話をしました。
私が話したおばあちゃんは北海道の方で、現在も日本に兄弟がいるそうです。傍に寄るなり、手を握られました。しわくちゃの手は温かったです。一時帰国で福岡にも訪れたと言っていました。韓国に伊勢神宮のお守りがあったので差し上げると大変喜んで下さいました。御年なので、もう日本に来ることはないだろうと思ったのでせめてこれだけでも、と。
「たくさんたくさん勉強しなさいよ」
と最後言われ、お別れしました。おばあさんの元を去るときに背後から童話が聞こえてきて(タイトル忘れましたが)「哀しい、哀しい」と感情が溢れてきて泣いてしまいました。周囲に泣いている方が数人居て、韓国の方が「大丈夫?」と声をかけてくれましたが・・・一時無理でした。
戦争は負の遺産しか残さない無意味なものだと改めて思いました。
ナザレの方々が眠る御墓は日本の方向を向いた海岸に建てられているそうです。魂だけは祖国に、という想いが叶うといいと思います。
私たちは繰り返される日々が当たり前すぎて、どんなに恵まれているか理解していない。蛇口をひねれば綺麗な水が飲める。食べ物はたくさんある。快適に寝る場所もある。大事な存在も傍に在る。全部当たり前? 当たり前と感じているのは平和だから。 生活は恵まれても、精神的に病んでいく世界を戦時中の方が見たらどう思うだろう? 当たり前なんかじゃないと思います。この日々は。
PR